文科省の“教科書改悪”に一石を投じた出版社が 学習指導要領に沿わない“小説収録”の教科書を販売

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「性急で安易な改革」

 先の紅野氏は、

「実用文や評論文だけでは、一面的な部分しか育たず、本質論がどんどん遠ざかってしまいます」

 と、指摘する。

「何事も本質論で考える思考力を鍛えることが大事で、そこには評論も必要だし、小説も必要だし、言葉について考えるなら詩歌も必要になりうる。本来はいろいろな教材を使いながら組み立てていかなければならないはずです」

 また紅野氏は、現在の「国語総合」が「現代の国語」と「言語文化」に分かれると、“教育現場が混乱する”と指摘する。

「国語の先生にも当然、得意不得意があり、例えば、近現代の文学が得意な先生、古典が得意な先生と分かれています。現在の『国語総合』では週に4時間くらいある授業時間の中で、評論や文学的文章を扱う2時間、古文・漢文を扱う2時間で、教員を変えることができる。つまり2人の教員が専門性を生かすことで高水準の授業が維持できているわけです」

 しかし「現代の国語」と「言語文化」に分かれると、

「前者は論理・実用の文章、後者は古典及び文学的な文章、ということになります。古典が得意な先生は当然、『言語文化』の担当になることを望むでしょうが、その先生が、あまり得意ではない夏目漱石や芥川龍之介を教えることになってしまいます」

 と、紅野氏は続ける。

「一方、『現代の国語』では評論文や実用文を教える。誰もこうした区分けで教えたことがないので、慣れるまでは授業のレベルは下がるでしょう。だから本来は教員養成のあり方から抜本的に変えなければならない話なのです。非常に性急で安易な改革が行われることによって、国語教育そのものが危うくなっているのです」

「論理的思考」を国語教育に取り入れるために、論理的とは言い難い事態が進行しているとは、何とも皮肉なことである。

週刊新潮 2021年10月7日号掲載

特集「『現代の国語』に文学作品を! 文科省『教科書改悪』に一石を投じた作り手の心意気」より

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